子どもの心を充たす公園とは

鬼ごっこをしたのは何年ぶりだっただろう。まだまだイケると思う自分の気持ちのとは裏腹に、とにかくどうにもこうにも足が動かない。特に「ヤバい!つかまる!」と思った瞬間に、走る方向をサッと切り替えられない。「今すぐストップして右にパッと避けるぜ」頭ではそうイメージしているのだが、現実は見事に「鬼さん」に向かって、むしろ突撃してしまう。

子どもと大人が入り交じり、こんなふうに鬼ごっこをする前、私たちは「今の公園にあるもの」「公園で遊んだ楽しい思い出」についてワークをした。公園には遊具がある。ブランコ、滑り台、ジャングルジム……。そして、ベンチや水飲み場、木陰……。それらはいったい何の為にあるのだろう。そして多ければ多いほど良いのだろうか。

ところがだ。いざそれを思いながら着いた公園で遊んだ時、そう、鬼ごっこに必要な遊具は何もなかった。子どもは子どもで大人を負かしてやろうと上手に逃げまくるし、大人は大人で、少しでも威厳を保とうと悲しい奮闘をする。とにかく双方真剣。それがすこぶる面白い。

もしかしたら、公園には何も要らないのかも知れない。

そう思った矢先、実はもう一つ発見があった。
「お腹空いたー。公園で先にご飯食べたい」
そういう意見もあったのに、子どもたちは、公園に放たれるやいなや、全身全霊で遊び始めたのだ。公園には何かのエネルギーが満ちているに違いない。

そして戻る時もそうだ。鬼ごっこのあと「だるまさんがころんだ」も楽しんだのだが、「さあ、部屋に戻ってお昼を食べよう」という案に、「まだ遊びたい」とだだをこねる子もいなかった。「もっと遊びたいな」と言っていた子も、意外とすんなりと戻った。

私は子供会運営などに携わっているが、なかなかこの切り替えが難しい。なぜ、この子たちはできるのだろう?という疑問がふつと湧いた。

そうして、部屋に戻り、それぞれのお弁当を広げ食べ始めた時に、実は反則技を犯した大人がいた。なんとチキンラーメンを持ってきたのだ。
チキンラーメンは、誰もが「食べ物としては邪道」だと認識しているはずなのに、一度その名を聞くと、とくにこういう寒い日に聞くと、猛烈に、麻薬のように心を占領する。実際、私もその欲求に耐えきれず、早起きしてこさえたおにぎり2個と唐揚げ6個というセットと、チキンラーメン半分の交換を申し出た。一口すすると、心が充ちる。好きなものをで心が充足されるシアワセ。欲求が満たされるのかもしれない。

食後は、またワークだ。これもまた不思議にすんなり移行。もしかして、何かに飽きるのではなく、何かが充ちると、人間は次に移行できるのかもしれない。

ちなみに、今回のワークは、親子での参加が多かったのだけれど、チームはくじ引きでわざとばらばらにした。これは前回のワークの反省からで、このしくみにより、親は親の顔を捨てられたと感じる。そして、子どもがこれまた意外なことに親と離れることをいやがらなかった。たしかに、私と同じチームにいた女の子(7歳)は、初めは母親の方をちらちら見ていたし、何かをする時にはいちいち母親に確認しに行っていた。でも、その確認や許可を取ることも、すぐにしなくなってしまった。母親ではなく、チームにいる大人の人に聞いてもいいんだ!ということが分かったからだと思う。私は大人げなく、信頼を得たことにうるっと感激していたが、もしかしたら、子どもはこういうことを繰り返し社会を信頼していくに違いない。だとしたら、安心安全な社会を用意することも大人の役割なんじゃないかと、改めて思った。

公園にあったらいいなと思うものを3つ挙げて、それを満たす公園を作ろう。
このワークには「好きなことを想像できたのが嬉しかった」という子どもからの感想があった。
大人は、変なフレームワークを使い、公園に最低限必要なものは何だろう?という視点をスタートに考えるとか、危険をできるだけ除外したところをスタートにして話を進めるだとかするが、一回、そういう枠を全て取っ払い好きにデザインしたあとで、足りなければ足し、危険は除外すればいいのではないか?という思いに至った。
しかし、むしろ好きにデザインすると、この「足りなければ足し」がほぼない、ということも発見した。

今回の場所は、調理室をお借りしたので、前回のレゴと紙以上に、創作意欲を刺激したようだ。ここでも「あるもので何とかする」と、みんなが人間の柔軟な思考力をフルスロットルで使った。

ザルやお椀や、お玉やフライ返しもアイデアの元。班によっては、それがブランコになったり、雲になったりする。

ちなみに、各班の生み出した公園は、それぞれ縮尺感が違う。テーブルから換気扇までを地面から数メートルで想定しているところもあれば、もっと高い場所を想定しているところもある。また、テーブルの上が既に地下である班もあるのだが、私たちはそんなことお構いなしに、ロープウェイでお互いの公園をつなげはじめた。

「公園には大きな木が必要だ!」

「いろんな方法で公園の山に登るのよ!」

こうしてできあがった4つの公園。子どもたちのプレゼンテーションをどうぞ。

思い思いの公園を堪能したあとは、お楽しみなのかワークの延長なのかの、フルーツポンチ作り。すっかり仲良くなって意気投合したチームで、手分けをして作業が進んだ。

男の子も積極的に作業をしている。

四人家族のように見えるが、全員他人(笑)

親子ではない組み合わせでも、なぜかスムースに作業がはかどる。

中に入れるフルーツの違い、加える炭酸の違いで、いろいろなフルーツポンチができました。

充足感あふれる笑顔

実はこのあと、今回の超目玉になる予定だった実験。そう、コーラにメントスを入れるというアレを行ったのだが「急須に移したら爆発しそう!」という思惑は思いっきりハズレ。急須に注いだ段階で炭酸が抜けてしまったのだ。

しょぼーん。これだけは子どもたちの夢を満たすことができなかった。次回リベンジ!

お腹も頭も胸もいっぱいになった私たち。今回のワークは、「理想の公園を考えるワークショップ」と銘打って開催されたのだが、それぞれの班の考えた公園、そしてそれらが全てつながった空間は、現実的には造ることはできないかもしれない。でもほんの数年前の夢物語が、可能になる時代、本当に、空中からジュースが降る公園や一万人くらい上れるはしごができるかもしれない。
そんなワクワクが内側から湧いてきて、体と心を充たした。好きなことを好きなだけ想像する、そういう安心安全な場所作りが、大人にも子どもにも大切なフィールドになるのかもしれない。